2016年9月に開催した学際シンポジウムに基づく研究書が仕上がりました。笠間書院より、2017年12月付の刊行です。本書の寄稿者には、様々な分野の研究者のみならず、広く一般読者に手に取って頂くために、できる限り簡明な文体で執筆頂きました。ぜひ、ご一読ください。
本ページの目次には、各章のリード文(前書き文)を掲載しています。
本書にご関心を持って下さる契機となれば幸甚です。
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田中祐介編『日記文化から近代日本を問う 人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70888-5 C0021
A5判・並製・カバー装・568頁
定価:本体4,800円(税別)
近代日本の日記文化論へ向けて、ここからはじめる。
虚実が入り混じり、読み手の解釈によりさまざまな相貌を見せるうえに、書き手が想像しなかった意味をも見出すことができるテクスト、日記。本書は知られざる他者の手による無数の日記に向き合うことで、多数の新鮮な「問い」の磁場を発見し、分析していく。
果たして人々は、日記をいかに書き、書かされ、書き遺してきたか―。
歴史学、文学、メディア学、社会学、文化人類学等、多数のジャンルの研究者たちにより、近代日本の日記文化を、史料・モノ・行為の三点を軸に明らかにしていく。
執筆は、柿本真代/河内聡子/新藤雄介/中村江里/川勝麻里/大野ロベルト/中野綾子/康 潤伊/堤ひろゆき/徳山倫子/磯部 敦/高 媛/大岡響子/宮田奈奈/西田昌之/松薗 斉/島利栄子(以上、執筆順)。
【本書を手に取る全ての方々へ。本書全体を通じて検討したのは、史料・モノ・行為の三点を軸に、近代日本の「日記文化」の実態の一端を明らかにすることであった。それは本書の副題に即して言えば、人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたかという大きな問いを一歩一歩検証するための各論的考察であったとも言える。しかし、「いかに」の問いの検証が遂に明らかにしえないのは、本書の特別対談でも話題になったように、人は「なぜ」日記を綴るのか―すなわち人間の書くことの欲望は何に由来するのかという根源的な問いである。人はなぜ、過去から現在に至るまで、そして未来においても、自己に関わる出来事を、のみならず自己の内面を言葉に托し、書き留めるのか。「書かされた」としてもそこに潜在する書くことの欲望を支えるものは何か。根源的であるゆえに容易に答えがたいこの問いに、本書を読む一人一人が考えを及ぼして下さることを期待する。本書で検討した「いかに」の事例が、そのための縁として役立つとすれば、望外の喜びである。】……「あとがき」より
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■編者紹介
田中祐介(たなか・ゆうすけ)
国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了(学術博士)。国際基督教大学アジア文化研究所助手、国文学研究資料館機関研究員を経て、現在、明治学院大学教養教育センター助教。代表的業績に、「『書くこと』の歴史を問うために─研究視座としての『日記文化』の可能性と学際的・国際的連携」(『日本近代文学』第96集、2017年5月)、「より豊かな日記の読み解きをめざして─『女性の日記から学ぶ会』の日記帳の目録作成とその意義」(『女性の日記から学ぶ会 二十年の歩み 平成8年〜28年』、2016年6月)、「近代日本の日記帳─故福田秀一氏蒐集の日記帳コレクションより」(『アジア文化研究』第39号、2013年3月)、「〈社会〉の発見は文壇に何をもたらしたか─一九二〇年の『文芸の社会化』論争と〈人格主義的パラダイム〉の行末」(『日本近代文学』第87集、2012年11月)、「教養主義とノスタルジア─阿部次郎『徳川時代の芸術と社会』における江戸郷愁との訣別」(『季刊日本思想史』、第77号、2010年10月)など。
近代日本の日記文化に関わる研究活動の最新情報は、diaryculture.comにて発信。メールアドレスはnikkiken.modernjapan[アットマーク]gmail.com
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【目次】
総論 研究視座としての「日記文化」─史料・モノ・行為の三点を軸として─(田中祐介)
明治以降、学校教育により読み書きの能力(リテラシー)を獲得した無数の人々が日記を綴ってきた。日記は人間の書き綴る欲望を満たす媒体であり、多種多様な日記帳文化がその欲望を支えた。一方で日記は、点検者が読むことを前提とした「書かされる」ものでもあり、書き手の行動と内面を拘束する装置としても機能した。本章は本書全体の総論として、史料・モノ・行為の三点を軸に近代日本の「日記文化」を考察する視座を提示する。
1 はじめに
2 史料としての日記
3 モノとしての日記
4 行為としての日記
5 近代日本の日記文化を浮き彫りにし、相対化するために
第Ⅰ部◉自己を綴ることの制度化
1章 教育手段としての日記が定着するまで─明治期少年の『日誌』にみる指導と規範─(柿本真代)
児童や生徒が綴った日記を教師が読み、評語を加えるという指導は今日においても行われている。こうした日記指導はいつから、またなぜ実施されるようになったのだろうか。本章では一八九〇年代を中心に、日記を書くことの意義がどのように論じられてきたのかを教師用指導書や雑誌の記事から跡付ける。その上で、ある一〇歳の少年が学校で用いた日記帳を分析することによって、明治期の日記指導の一端を明らかにしたい。
1 はじめに
2 日記の教育的価値
3 少年の『日誌』から
4 おわりに
2章 農民日記を綴るということ─近代農村における日記行為の表象をめぐって─(河内聡子)
本章は、近代において「日記を綴ること」が農村社会の中で理想的な行為として表象されるということについて、そのようなイメージが歴史的な文脈のなかでいかに形成されたのかを問題とする。それによって、近代日本の農村社会のなかで、日記行為─すなわち、自己の生活、あるいは自己そのものについて書くことが、どのような意味を持ち得たのかを明らかにすることを試みるものである。
1 はじめに
2 農村社会の近代化と「日記」
3 日記を綴る「農村青年」─その理想化をめぐって
4 教材としての「日記」─教育される「農村らしさ」
5 おわりに
第Ⅱ部◉史料としての可能性
3章 昭和初期の役人日記における読書と政治的志向─マルクス主義と共産主義運動の間の二重の分断線─(新藤雄介)
本章は、社会運動に関心を抱きつつも、そこへ参加しない人々とはどのような存在なのかを、明らかにすることを目的とした。日記執筆者は、妻子のある役人で、左翼雑誌から大衆雑誌まで幅広く購読する人物であった。政治的志向としては、マルクス主義やメーデーには一定の共感を示す一方で、共産主義運動に対しては否定的であった。そのため、プロレタリア文学やその思想は届いていたが、それらが直接的に影響を与えるものとして受容されることはなかった。日記執筆者にとっての読書とは、「漫然」と「拾い読み」をする仕方で消費するものであった。このことは、当時における運動と言論の間の分断線のみならず、言論の中における書くことと読むことの間にある、もう一つの分断線を浮かび上がらせた。
1 問題の所在
2 先行研究と本章の方法
3 日記執筆者の個人生活
4 日記執筆者のメディア接触と読書傾向
5 マルクス主義の曲解への憤り
6 『戦旗』の左翼性の無効化
7 『中央公論』の発禁への関心
8 メーデーに対する期待と共産主義運動に対する否定
9 プロレタリア文学的視点の有無
10 無抵抗主義者としてのガンディー、ブルジョアの手先としてのガンディー
11 誤配と購入と読書の間
12 本章の知見
4章 精神科診療録を用いた歴史研究の可能性と課題─戦時下の陸軍病院・傷痍軍人療養所における日誌の分析を中心に─(中村江里)
患者のセンシティブ情報を含む精神科診療録は、歴史研究での利用が未だ制限されているのが現状である。しかし、当時の社会状況や、医療・患者に関する豊かな記述が残された診療録は、社会史的・民衆史的な観点からの精神医療史を飛躍的に発展させる可能性を持った資料群と言える。本章では、戦時下の医療機関で記された病床日誌・看護日誌を事例に、精神科診療録を用いた歴史研究の可能性と課題を論じる。
1 はじめに
2 アジア・太平洋戦争期の軍事精神医療の概要と関連アーカイブズの現状
3 病床日誌の資料的特性
4 診療録を用いた歴史研究の可能性
5 診療録のもつ資料的困難と豊かさ―患者の「沈黙」から考える
6 おわりに
5章 多声響く〈内面の日記〉─戦時下の第二高等学校『忠愛寮日誌』にみるキリスト教主義学生の信仰・煩悶・炎上的論争─(田中祐介)
旧制第二高等学校の『忠愛寮日誌』は、キリスト教主義の忠愛寮で生活を営む全員が読む公的媒体であるにも拘らず、交替で務めた書き手に求められたのは真摯な態度で自己の内面を綴ることであった。寮友はその内面の記録に応答し、日誌欄外に所感や批判を追記してゆく。本章では、多声響く〈内面の日記〉とでも呼称すべき『忠愛寮日誌』を題材に、特に戦時下の動向に目配りしながら、寮生たちの書き綴る文化の実態を明らかにする。
1 はじめに
2 第二高等学校忠愛寮と『忠愛寮日誌』
3 『忠愛寮日誌』の特徴─大正期を中心に
4 戦時下の『忠愛寮日誌』
5 結論
第Ⅲ部◉真実と虚構
6章 昭和一〇年代の王朝日記受容と綴り方運動─堀辰雄・坂口安吾・川端康成における〈女性的なるもの〉のリアリティ─(川勝麻里)
昭和一〇年代前後において、日記は、川端康成や堀辰雄や太宰治や坂口安吾といった作家にとって、素人女性が持っている独特の感性である〈女性的なるもの〉として受け止められ、リアリティのある素材的価値を持っていた。その日記の価値は、①書き手が男女どちらなのか、②小説の技巧に左右されず、意識の流れのままに、自分の心を素朴で素直で率直に写し取った綴り方かどうか、によって決まっている。女性の王朝日記を例として論じたが、日記全般について、この認識が見られるのではないかということを考察しながら、当時の女性作家が、プロの作家ではなく素人として扱われることで、男性作家の代作者や協力者にさせられてしまうことになる文壇の構造についても、明らかにした。
1 はじめに
2 「純粋の声」と堀辰雄「姨捨」
3 堀辰雄「かげろふの日記」における「純粋の声」
4 綴り方運動と、日記における「純粋の声」
5 男女の声色―リライトなのか、代作なのか?―
【王朝日記受容・簡略年表】
7章 権力と向き合う日記─北條民雄と読者・文壇・検閲─(大野ロベルト)
川端康成に見出され、ハンセン病文学の担い手として一身に注目を集めながら、わずか二三歳で没した北條民雄。その日記は作家の日記であると同時にハンセン病患者の日記でもあるという点で、極めて特殊である。そしてその特殊性こそ、何より北條を苦しめたものであった。北條の日記には、「ハンセン病文学の書き手」という自らが背負わされたイメージへの疑問や、筆の自由を奪う検閲制度への怒りなど、内外の権力に対する拒絶反応が繰り返し現れている。
1 はじめに
2 病める創作者の「心的日記」
3 読者・文壇への意識――理想と現実の葛藤
4 検閲との格闘
5 結論―川端という権力者
8章 「編集された日記」における学徒兵の読書行為─学徒兵遺稿集と阿川弘之『雲の墓標』をめぐって─(中野綾子)
学徒兵が語られる際に常に強調されてきたのがその読書する姿である。本章では、「編集された日記」として、学徒兵遺稿集(『きけわだつみのこえ』、『雲ながるる果てに』)、そして日記体小説である阿川弘之『雲の墓標』における読書する学徒兵の描かれ方を分析している。そこからは、読書を通していかに生きるべきかを問うていた、戦後の読書行為の歴史がみえてくる。
1 はじめに
2 『雲の墓標』の「うしろの作者たち」
3 遺稿集に記された読書―『ドイツ戦没学生の手紙』から『雲ながるる果てに』まで―
4 『雲の墓標』における吉野次郎の読書
5 吉野次郎の空疎な読書
6 藤倉晶の「反戦的」な読書
7 おわりに
9章 ジュニア向け文庫の「非行少女の日記」─性をめぐる教化・窃視・告白─(康 潤伊)
女子非行の増加が問題化されるなか、ジュニア向け文庫から3つの「非行少女の日記」が刊行された。その背景には、私たちが日記に対して無前提に見出しがちな、告白性と真実性を利用しようとする、大人側の意図があった。そして、告白としての日記は、ある男性作家にさらに利用されていく。
1 はじめに
2 教化
3 窃視
4 告白と/の文学
5 おわりに
第Ⅳ部◉学校文化の中の「書くこと」
10章 大正期の教育実習日誌におけるまなざしの往還─師範学校生徒はいかにして教員となったか─(堤ひろゆき)
近代日本において、学校教育を担う教員はどのようにして教員となっていったのか。はじめて教員として教壇に立つ教育実習で、教育実習生(教生)は師範学校生徒であり、同時に教員でもある日々を過ごすことで、教員としてのまなざしを獲得していった。自分自身の被教育経験を教員としての視点から再解釈し、指導教員からの指導に適合した日誌を自らの言葉として、教生としてふさわしい言葉で書くことで、教員として規範化していったのである。
1 はじめに
2 先行研究
3 史料および教育実習の概要
4 生徒としてのまなざしと教員としてのまなざし
5 日誌を通した「書くこと」による規範化
6 おわりに
11章 書記行為から〈女学生〉イメージを再考する─白河高等補習女学校生の日記帳と佐野高等実践女学校校友会誌を題材に─(徳山倫子)
少女雑誌への投稿や「エス」の相手と手紙のやりとりをする〈女学生〉たち――近代日本における「少女文化」の主体として、従来の研究では都市新中間層の高等女学校生に焦点が当てられてきた。本章では白河高等補習女学校生徒の日記帳を手がかりに、〈女学生〉の枠組みと階層性について再考するとともに、佐野高等実践女学校校友会誌『白鳩』を用いて、生活綴方教育の影響を受けた学校空間における〈女学生〉の書記行為について検討する。
1 〈女学生〉とは誰なのか?―「女学生日誌」の所有者をめぐって
2 〈女学生〉と書記行為―校友会誌への着目
3 佐野高等実践女学校生徒の読書傾向―高等女学校生との比較から
4 作文には何が、どこまで綴られ得たか?
5 佐野高等実践女学校生徒の社会的階層と自己意識
6 作文における創作的な試み―読書行為との関わり
7 おわりに
12章 表現空間としての奈良女子高等師範学校─「婦徳」の内面化と詠歌の相関─(磯部 敦)
奈良女子高等師範学校では、「婦徳ノ涵養(かんよう)」という教育方針を通して教員/婦人を育てようとしていた。この「婦徳」という規範と生徒たちの表現との相関を、本章では大正大典における奉祝歌、校友会雑誌における投稿歌を通して分析する。授業での題詠は教育成果報告として校友会雑誌にも掲載されていたが、匿名投稿が可能となってからは題詠がすがたを消す。けれどもそれは規範への反発や逸脱などではなく、むしろ規範を内面化した結果としてあった。その根底には、奈良女子高等師範学校生であることの自負と自覚が横たわっていたのである。
1 奈良女子高等師範学校と「婦徳」
2 奈良女高師生たちの大典奉祝歌
3 校友会雑誌『養徳』における和歌
4 奈良女高師という表現空間
第Ⅴ部◉「外地」で綴られた日本語の日記
13章 戦前期満洲における中国人青年の学校生活─南満中学堂生の『学生日記』(一九三六年)から─(高 媛)
本章は日本語と中国語の両言語で書かれた『学生日記』への分析を通して、満洲国時代に日本語教育を受けた一人の中国人青年の学校生活を考察し、日中のはざまに生きる彼の精神世界を読み解くことを試みる。
1 はじめに
2 『学生日記』の体裁と特色
3 Yさんの人物像
4 Yさんの学校生活
5 Yさんの内面世界
6 おわりに
14章 植民地台湾の知識人が綴った日記─黄旺成日記にみる読み書きの実践と言語選択─(大岡響子)
本章で扱う黄旺成日記は、日本語、漢文、白話文の三つの記述スタイルで綴られた日記である。公学校教員であった一九一〇年代は日本語を中心に綴られていたが、次第にその割合は減少し、最終的に日本語は放棄される。本章では、日記に綴られた読書記録の分析を踏まえ、黄旺成の読み書きの実践と言語選択について考察する。それとともに、黄旺成が置かれた社会的状況や台湾人教員間のネットワークを考慮にいれながら、植民地台湾の多言語空間において自らの言語を選ぶことの意味を問いたい。
1 はじめに
2 黄旺成の経歴と日記
3 黄旺成のリテラシー獲得と教育機関
4 黄旺成日記にみる「書くこと」と「読むこと」の実践
5 読む言語と書く言語の変遷
6 むすび
第Ⅵ部◉近代日本の日記文化を浮き彫りにし、相対化するために
15章 近代日本の日記と学際研究─日欧比較という視座から─(宮田奈奈)
本章では、まず、西川祐子『日記をつづるということ─国民教育装置とその逸脱─』(吉川弘文館、二〇〇九年)が「ニューヒストリー」の枠組みに置かれていることに着目し、方法論と日欧比較のあり方を整理する。その上で、ヨーロッパの日記行為の歴史、研究史を哲学・文学と歴史学に分けて概観し、 一九七〇年代以降のポストモダン・ポスト構造主義の流れが日記研究に与えた影響の把握に努め、その特徴を踏まえた上で、近代日本の日記の学際研究のあり方と日欧比較の視座として、 (1)日記の収集と実態調査の蓄積、(2)日欧におけるパラダイムの違いの確認、(3)用語の概念の共有を提案する。
1 はじめに
2 ヨーロッパにおける日記行為の歴史
3 ヨーロッパにおける日記研究
4 近代日本の日記の学際研究のあり方と日欧比較の視座
5 おわりに
16章 近現代タイの日記文化─国民教導としての読ませる日記から民主化の黎明へ─(西田昌之)
タイは独自の書記文化を持ち、様々な歴史事象を文字にして記録してきたが、日々の個人的な出来事を綴る日記という文化は長らく大衆に普及しなかった。タイ社会では、日記は大衆文化というよりも上流階層の高級文化として、他者に自己の思想を伝え、教導することを目的に書かれる傾向があった。これは「国民教育装置」として記録者自身の内省による下からの国民教育を目指した日本の日記文化の特徴とは異なり、タイの上からの国民教育のかたちを端的に表したものと言い換えることもできるかもしれない。しかし近年では、タイにおいても小学校で日記教育が行われるようになったり、オンライン日記が普及したりするなど日記文化の民主化がはじまっている。
1 日記を書いたことがない大学生
2 日記に近いタイ独自の書記文化
3 近代タイにおける日記のはじまり─近代的時間と個人の出来事との連結
4 国民教導のための日記
5 大衆教育としての日記教育
6 おわりに
17章 前近代の日記の〈発生〉について─日欧比較文化史の視点から─(松薗 斉)
日記という、特に日本人にとっては身近な記録形態は、ふと目を国外にそらすと意外とそれが身近ではないことに気づかされる。それは近代に入って欧米の文化が入ってきたからだけの問題ではなく、それまでに形成されてきた日記をめぐる社会的関係に大きく影響されているようである。日本ではその関係が早くから形成され、かつ洗練されて次代に受け継がれてきた。ここでは前近代の日本人と日記との関係をたどってみるとともに、ヨーロッパでも比較的に個人的な日記が古くから残るイタリアのそれらと比較してみよう。
1 はじめに
2 日本における日記の始まり
3 王朝日記の開始
4 王朝日記の発展
5 記録装置としての日記と「家」
6 王朝日記の変容
7 中世商人の日記
第Ⅶ部◉特別対談
「個人の記録を社会の遺産に」(島利栄子「女性の日記から学ぶ会」代表)
学際シンポジウム「近代日本の日記文化と自己表象─人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか─」(二〇一六年九月一七日(土)、一八日(日))の初日に開催した特別対談を本書の最後に掲載する。シンポジウムを開催した二日間とも、ご登壇いただいた島利栄子氏が主宰する「女性の日記から学ぶ会」の協力を得て、「戦中戦後の日記いろいろ」展を同時開催した。人はなぜ日記を綴り、時に膨大な量の記録を残すのか。書き続ける行為を支える人間の欲望とは何か。本書の問題意識を踏まえ、「日記文化」研究の今後を展望する。
1 はじめに
2 「女性の日記から学ぶ会」の活動前史─記録に着目すること
3 活動二〇年を迎えて─集めた日記の特徴、収集・保存の方法と、出版や展示会
4 日記とのつきあい方
5 日記の会のメンバーから
6 人はなぜ書き続けるのか、書き続けたのか
◆シンポジウム開催記録
◆執筆者プロフィール(執筆者の日記習慣アンケート付き)
◆あとがき
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【執筆者プロフィール】
柿本真代(かきもと・まよ)
仁愛大学人間生活学部講師(児童文化史)▼「明治期の少年雑誌と読者たち─『少年園』『小国民』の書き入れをめぐって」(『仁愛大学研究紀要 人間生活学部篇』8号、二〇一六年三月)、「『少年園』における西洋文化の受容─『セント・ニコラス』との関係を中心に」(『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』28号、二〇一五年三月)。
河内聡子(かわち・さとこ)
東北大学文学部助教(日本近代文学)▼「明治期地方寺院における説草集の編纂をめぐって」(『仏教文学』42号、二〇一七年四月)、「大原幽学の発見─「日本的産業組合」の創出と歴史叙述の転換を巡って」(『日本文芸論稿』36号、二〇一三年三月)、「雑誌『家の光』の普及過程に見るメディアの地域展開」(『日本文学』58巻4号、二〇〇九年四月)。
新藤雄介(しんどう・ゆうすけ)
福島大学行政政策学類准教授(メディア史、社会学)▼「メディア史の歴史学化か/歴史学のメディア研究化か─メディア史・歴史学・文学・政治学にとっての読者研究の位相」(『メディア史研究』41号、二〇一七年二月)、「明治民権期における声と活字─集会条例による政談演説/学術演説の区分を巡る政治性」(『マス・コミュニケーション研究』88号、二〇一六年一月)、「大正期マルクス主義形態論─『資本論』未完訳期における社会主義知識の普及とパンフレット出版」(『マス・コミュニケーション研究』86号、二〇一五年一月)。
中村江里(なかむら・えり)
一橋大学大学院社会学研究科特任講師(日本近現代史)▼『戦争とトラウマ─不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、二〇一八年)、『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、二〇一七年)。
川勝麻里(かわかつ・まり)
明海大学・埼玉学園大学・早稲田大学非常勤講師(日本近現代文学、川端康成研究、『源氏物語』の受容研究)▼巻頭解説「『どこか遠く』へ行きたい日本人たち─七〇年代文化的装置としてのディスカバー・ジャパン・キャンペーン広告」(『ディスカバー、ディスカバー・ジャパン 「遠く」へ行きたい』東京ステーションギャラリー図録、二〇一四年九月)、論文「一九二〇年代のシュルレアリスム受容と川端康成─『弱き器』『火に行く彼女』『鋸と出産』ほか」(『立教大学日本学研究所年報』9号、二〇一二年三月)、単著『明治から昭和における『源氏物語』の受容─近代日本の文化創造と古典』(和泉書院、二〇〇八年)。
大野ロベルト(おおの・ろべると)
日本社会事業大学社会福祉学部専任講師(古典を中心とする日本文学、比較文化、文学理論)▼論文「『もののあはれ』再考─思想と文学を往還しながら」(『アジア文化研究』42号、二〇一六年三月)、 訳書『江戸のなかの日本、日本のなかの江戸』(ピーター・ノスコ、ジェームス・E・ケテラー、小島康敬編、柏書房、二〇一六年)。
中野綾子(なかの・あやこ)
日本学術振興会特別研究員(PD)(日本近代文学)▼「緩やかな動員のためのメディア─陸軍発行慰問雑誌『兵隊』をめぐって」(『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』別冊(24巻1号)、二〇一六年九月)、「〈柔らかな統制〉としての推薦図書制度─文部省及び日本出版文化協会における読書統制をめぐって」(『Intelligence』15号、二〇一五年三月)、「慰問雑誌にみる戦場の読書空間─『陣中倶楽部』と『兵隊』を中心に」(『出版研究』45号、二〇一五年三月)。
康潤伊(かん・ゆに)
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程(日本近現代文学、在日朝鮮人文学)▼「柳美里『8月の果て』における非‐「本名」─創氏改名の陰としての号と源氏名」(『昭和文学研究』76号、二〇一七年三月)、「教材としての鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』─異文化コミュニケーションの不/可能性」(『文学・語学』216号、二〇一六年八月)。
堤ひろゆき(つつみ・ひろゆき)
上武大学ビジネス情報学部専任講師(日本教育史)▼「学校報国団による生徒の「自治」の変化─長野県松本中学校の「自治機関」に注目して」(東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室『研究室紀要』41号、二〇一五年七月)、「旧制中学校における「校友」概念の形成─1890年代の長野県尋常中学校の校内雑誌『校友』を手がかりとして」(東京大学大学院教育学研究科『東京大学大学院教育学研究科紀要』54号、二〇一五年三月)。
徳山倫子(とくやま・りんこ)
京都大学大学院農学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC2(近代日本の女子教育史・農村女性史)▼「近代日本の農村女子教育における歴史研究の意義と課題」(『農業および園芸』92巻8号、二〇一七年八月)、「1930年代の公立職業学校における女子教育─大阪府立佐野高等実践女学校を中心に」(『日本の教育史学』59集、二〇一六年一〇月)、「都市近郊農村における女子初等後教育の展開─大阪府郡部の高等小学校付設裁縫専修科に着目して」(『農業史研究』49号、二〇一五年三月)。
磯部敦(いそべ・あつし)
奈良女子大学研究院人文科学系准教授(近代日本出版史)▼著書に『出版文化の明治前期─東京稗史出版社とその周辺』(ぺりかん社、二〇一二年)、論文に「紙型と異本」(『書物学』8号、勉誠出版、二〇一六年八月)、「職業案内本の〈近代〉、あるいは時代閉塞の現状について」(前田雅之他『幕末明治 移行期の思想と文化』勉誠出版、二〇一六年)。
高 媛(こう・えん)
駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部准教授(歴史社会学)▼「戦争の副産物としての湯崗子温泉」(解説論文)『湯崗子温泉株式会社二十年史』(復刻版、ゆまに書房、二〇一六年)、「招待旅行にみる満洲イメージ」旅の文化研究所編『満蒙開拓青少年義勇軍の旅路』(森話社、二〇一六年)、「一九二〇年代における満鉄の観光宣伝─嘱託画家・眞山孝治の活動を中心に」『Journal of Global Media Studies』17・18合併号(駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部、二〇一六年三月)。
大岡響子(おおおか・きょうこ)
東京大学大学院総合文化研究科博士課程・明治学院大学非常勤講師(歴史人類学・日本語教育学)▼「『私』をつくる記述─満洲における雑誌メディアと自己言及のテクスト」(『アジア文化研究』42 号、国際基督教大学アジア文化研究所、二〇一六年三月)、「変わりゆく都市の生活空間─台北における伝統市場という場所性」(『Vesta』96号、味の素食の文化センター、二〇一四年一〇月)。
宮田奈奈(みやた・なな)
オーストリア国立科学アカデミー近現代史研究所客員研究員、ドイツ・ヒルデスハイム大学歴史学研究所非常勤講師(Intellectual history、東西交渉史)▼訳書に『明治初期日本の原風景と謎の少年写真家』(洋泉社、二〇一六年)、翻訳監修・編著に『日独交流150年の軌跡』(箱石大、ペーター・パンツァーとの共編、雄松堂書店、二〇一三年)、著書にDie Übernahme der chinesischen Kultur in Japans Altertum: Kultureller Wandel im innen- und außenpolitischen Kontext (Lit-Verlag, 2012).
西田昌之(にしだ・まさゆき)
チェンマイ大学人文学部日本研究センター副センター長・専任講師、国際基督教大学アジア文化研究所研究員(文化人類学・地域研究(東南アジア))▼「コミュニティ防災の中心と周辺─タイ・パンガー県タクワパー郡の事例から」(加藤恵津子・山口富子編『リベラルアーツは〈震災・復興〉とどう向きあうか』風行社、二〇一六年)、「三木榮の『南進』と対タイ文化政策」(『日タイ言語文化研究』特別号、二〇一六年二月)”The Emergence of a Nature Conservation Ritual: Local Negotiations with Environmentalism in Northern Thailand.”(『アジア文化研究』39号、二〇一三年三月)。
松薗斉(まつぞの・ひとし)
愛知学院大学文学部教授(日本古代・中世文化史)▼『中世日記の世界』(近藤好和氏と共編著、ミネルヴァ書房、二〇一七年)、『日記に魅入られた人々 王朝貴族と中世公家』(臨川書店、二〇一七年)、『日記の家─中世国家の記録組織』(吉川弘文館、一九九七年)。