田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』

2019年9月28日(土)、29日(日)の2日間にわたり開催した学際シンポジウム「近代日本を生きた『人々』の日記に向き合い、未来へ継承する」に基づく研究書として、田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』(文学通信)を刊行する運びとなりました。「日記文化」を主題とした研究書としては、田中祐介編『日記文化から近代日本を問う 人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか』(笠間書院、2017年)に続く第2弾となります。今回も様々な研究分野の執筆者が優れた論考を寄せてくださいました。同時に、広く一般読者に手に取って頂くために、できる限り簡明な文体で執筆頂きました。お手に取っていただければ幸甚です。

本ページの目次には、各章のリード文(前書き文)を併載しましたので、ご参考になさってください。

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田中祐介編『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』
ISBN978-4-909658-75-3 C0021
A5判・並製・カバー装・456頁
定価:本体2,800円(税別)

人間の書くことの歴史と文化を考え、過去を生きた、無数の人々が紡いだ歴史の意味を問う。
過去を生きた未知の人々の小さな歴史に向きあい、書かれた言葉の向こう側に想像力を働かせながら、より大きな歴史との異なりや繋がりを実践的に検証していく書。

全体を、「モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史」、「読者を意識した自己の真実性」、「自己を語り直す–日記・私小説・自伝・回想録」、「無数のひとりに出会う」の四部で構成する。

本来ならば絶対に関わらない他者の日記を時代を超えて読むことには、一体どういう意味があるのか。書かれた内容を鵜呑みにできず、一筋縄ではいかない日記という史料にいかに向き合うべきなのか。モノ・行為・史料の視座から掘り下げ、人はなぜ日記を綴るのかという根源的な問いへの向きあい方をも考えていく、最先端の「日記文化」研究。

執筆は、田中祐介/柿本真代/河内聡子/鬼頭篤史/志良堂正史/竹内瑞穂/堤ひろゆき/徳山倫子/大木志門/西田昌之/大岡響子/大川史織/吉見義明/山田鮎美/島利栄子。

【日記は読み手に都合の良い論証の材料ではなく、未知の他者との出会いであり、新鮮な問いが様々に生まれる磁場である。書き手の人格と人生に敬意を払いながら、紙面に留められた言葉のひとつひとつに向きあい、予見を排して慎重に読み解く。そうすることで過去の言葉は再び生彩を放ち、現在の読者の言葉と思考を揺るがし、再考を促すであろう。すなわち日記の読み解きを通じて出会うのは、社会的属性や特定の歴史経験に還元され得ない個別的な他者、換言すれば無数のひとりにほかならない。】……「総論 「日記文化」を掘り下げ、歴史を照射する」より

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■編者紹介

田中祐介(たなか・ゆうすけ)
Tanaka Yusuke

明治学院大学教養教育センター専任講師(日本近代文学・思想史)
著書・論文に、「制度化された近代日記の読み解き方 近代日本の「日記文化」を探究する」(『REKIHAKU』第3号、国立歴史民俗博物館、2021年6月)、「真摯な自己語りに介入する他者たちの声 第二高等学校『忠愛寮日誌』にみるキリスト教主義学生の「読み書きのモード」」(井原あや・梅澤亜由美・大木志門・大原祐治・尾形大・小澤純・河野龍也・小林洋介編『「私」から考える文学史 私小説という視座』勉誠出版、2018年)、『日記文化から近代日本を問う』(編著、笠間書院、2017年)など。近代日本の日記文化に関わる研究活動の最新情報は、diaryculture.comにて発信。メールアドレスはnikkiken.modernjapan[アットマーク]gmail.com

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総論 「日記文化」を掘り下げ、歴史を照射する(田中祐介)
明治以降の日本では、近代的な学校教育制度の確立により人々のリテラシー(読み書きの能力)が格段に向上し、無数の人々が自発的・義務的に日記を綴った。本章では本書全体の総論として、①モノとしての日記(日記帳の体裁や生産流通)、②行為としての日記(習慣的に書き綴る営み)③史料としての日記(日記の内容)の三点の視座に即し、近現代日本の「日記文化」を掘り下げ、無数の人々が紡いだ歴史の意味を問うための論点を概観する。

1 はじめに
2 モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史を紐解く
3 行為としての日記─虚飾のない自己を綴るという制度
4 自己表象に働く規範化と逸脱の力学
5 史料としての日記にいかに向きあうか
6 おわりに─無数のひとりに出会うために

Ⅰ モノとしての日記・家計簿・手帳の文化史
1章 夏休みの日記の成立と展開―「夏季休暇日誌」から「なつやすみの友」へ(柿本真代)

夏休みの日記は、現在も多くの小学校で宿題のひとつとなっている。最終日に慌てて仕上げた記憶をもつ人も少なくないだろう。なぜ日記を書くことが夏休みの宿題として定着したのだろうか。本章では、「夏季休暇日誌」がうみだされた社会的背景をまず明らかにする。また、学校現場で採用されていった過程やその規格の変遷、さらにどのような役割を期待されていたのかについて、明治から大正期を中心に検討していく。

1 はじめに
2 夏季休暇をめぐって
3 市販の夏季休暇日誌
4 謄写版から共同購入へ
5 夏季休暇日誌の役割
6 おわりに

2章 家計簿と女性の近代―モノとしての成立と展開に見る(河内聡子)
本章は、近代以降の日本において「家計簿」が女性のアイテムとして認識されるようになった経緯について、モノとして果たした機能に注目して考察する。明治期以降、家計管理が女性の担う行為となり、家計簿が商品化して普及した背景には、ジェンダー規範や性別役割、また階層性の変容が関わっていた。そのような近代化の過程において家計簿は、私的領域のみならず公的領域にも影響を及ぼすモノとして役割を拡張させていき、女性が社会貢献しうる存在として主体形成していく上で重要な意味を持ったことを明らかにした。

1 はじめに
2 近代における家計簿の展開─行為からモノへ
3 「中流家庭」の必需品としての家計簿─羽仁もと子編纂『家計簿』に見る
4 女性のモノとしての家計簿─『婦人之友』の記事に見る効能
5 おわりに

3章 昭和戦後期のサラリーマンの手帳文化―一九六〇年代末から一九八〇年代の手帳をめぐる言説を中心に(鬼頭篤史)
本章では、昭和戦後期のサラリーマンの手帳の位置付けについて、手帳を所持し使用することに与えられていた意味に注目し、サラリーマンを主な読み手とする手帳の選択や使用法に関する活字メディア言説から考察する。そうした言説の中で手帳は、主に情報整理および「知的○○」の二つの文脈で語られており、前者の文脈では、情報整理の手段として、そして後者の文脈では、使用者の知性や感性、あるいは有能さを演出するためのツールとして論じられた。そして手帳は、サラリーマンとしての成功のためには不可欠のモノとして位置づけられていた。

1 はじめに
2 サラリーマン向けの言説への手帳文化の登場
3 情報整理の文脈における手帳文化
4 「知的○○」の文脈における手帳文化
5 おわりに

4章 手帳類プロジェクトの設計と実践―私的なプレイヤーのためのプラットフォームへ向けて(志良堂正史)
現代の人々が自分のために書いた手帳や日記から、同じ時代を生きる他者は何を読み、見いだすのか。著者は二〇一四年からプライベート性のある手書きの記録帳を収集し展示やSNSを通して共有する活動を行ってきた。本章ではまず初期の実践を振り返りながら、このプロジェクトがゲームとして作られていることを確認する。次に集まった記録の特徴を指摘しつつ手で書くことの可能性を考える。最後に「私的な人々のためのプラットフォーム」へと向かう直近の実践を紹介する。

1 はじめに
2 手帳類というプロジェクト
3 手帳類というモノ
4 手帳類というプラットフォーム
5 おわりに

Ⅱ 読者を意識した自己の真実性
5章 自己を書き綴り、自己を〈調律〉する―中村古峡史料群の「日記」「相談書簡」「療養日誌」(竹内瑞穂)

小説家から心理学研究者、そして精神科医へと転身した中村古峡(一八八一−一九五二)が遺した史料群には、多様な〈自己を書き綴る〉テクストが含まれている。本章ではそのうちの「古峡の日記」「患者からの相談の書簡」「入院患者の療養日誌」に焦点をあて、〈想定された読み手〉との対話のなかで自己を書き綴る人々が、その過程で自己を調律(チューニング)しなおし、齟齬をきたしていた現実との関係を回復していく姿を追う。

1 はじめに
2 変容する古峡日記
3 自己を書き綴る書簡
4 療養日誌のメカニズム
5 おわりに

6章 戦場に行かない兵士としての経験を綴る―大正期師範学校卒業教員の「六週間現役兵日誌」における伝えるべき軍隊像の模索(堤ひろゆき)
陸軍六週間現役兵制度が定められた一八八九年以降、師範学校卒業小学校教員は六週間の兵役義務を担い、その経験を踏まえ、小学生や地域住民に軍隊の実像を伝えることが期待された。いわば戦場に行かない兵士といえる六週間現役兵の兵営生活は必ずしも模範的ではなかった。しかし、短期間の軍隊経験を日誌に記し、教官により生活態度の是正を促されながら、退営後に教員として伝えるべき軍隊像を模索していった。

1 はじめに
2 大正期の六週間現役兵教育における日誌指導の内容
3 兵営における六週間現役兵へのまなざし
4 学校・地域に伝えるべき軍隊像を模索する場としての日誌
5 おわりに

7章 飢える戦場の自己を綴りぬく―佐藤冨五郎日記における書くことの意思(田中祐介)
本章では、戦時下のウォッチェ島(マーシャル諸島)で餓死した日本兵である佐藤冨五郎の日記を取り上げる。冨五郎が軍人にふさわしい漢字カタカナ文を堅持し、死の間際まで日記を綴りぬいたのかのはなぜか。冨五郎と同様に漢字カタカナ文の軍隊日記を綴りながら、途中でその文体を棄て、漢字ひらがな文に転換した佐藤正太郎の日記との比較考察を通じてこの主題を追求し、冨五郎の書くことの意思に迫りたい。

1 問題設定
2 軍人の文体を貫き通す─佐藤冨五郎の日記から
3 軍人の文体を脱ぎ捨てる─佐藤正太郎日記における文体の変遷
4 冨五郎の「書くことの意思」に接近する
5 結論

8章 昭和初期農村の「模範処女」たちの自己語り―県農会立女学校の生徒・卒業生作文に見る規範意識と「少女文化」(徳山倫子)
昭和戦前期において「農家の嫁」になるように指導を受けた農村の未婚女性たちは、都市への憧れを抱くことが否定され、農村の「模範処女」としての規範に沿って自己を綴ることが期待された。かかる彼女たちの文芸空間は都市から隔絶されたものではなく、都市部の「少女」たちの流行であった「少女文化」の影響を受けていた。本章では農村の「模範処女」としての規範と「少女文化」の関係性について、「農家の嫁」の養成を目的として県農会により設置された女学校の生徒・卒業生の作文を題材に考察する。

1 はじめに─近代日本における農村の未婚女性の書記行為をめぐって
2 学校・生徒・読者を媒介する県農会報
3 農村の「模範処女」としての自己語り
4 県農会報を彩る「少女」たち
5 おわりに

Ⅲ 自己を語り直す――日記・私小説・自伝・回想録
9章 水上勉文学における自己語りの諸相―「私小説」のプロトタイプ的理解の一例として(大木志門)

日記とは書き手が自身のことを記録するものであると定義すれば、これは小説という芸術ジャンルで言えば「自伝」や「私小説」と類似していることになる。「日記文学」という言葉があるように、日記の形で自己を語るのと、小説の形で自己を語ることの間にはどれほどの違いがあるのだろうか。共通点があるとするならそれはどのような点であろうか。本章では「私小説」を日記と同様の「自己語り」のバリエーションの一つと考え、作家・水上勉の作品を題材にしながらその多様なあり方やそこから見えてくる問題を考察してみたい。

1 はじめに─「私小説」のプロトタイプ論的理解を目指して
2 「私小説」における「自己語り」─「虚構」と「真実」の手法
3 社会派推理小説・中間小説における「自己語り」─「接続」と「分身」の手法
4 評伝文学における「自己語り」─「同一化」と「偽書」の手法
5 おわりに─「日記」と「歴史」

10章 物語化する自己記述―漆芸家生駒弘のタイ滞在日記と自伝の比較から(西田昌之)
本章では、一九五七(昭和三二)年から一九六一年(昭和三六)までタイ国チェンマイへ漆器技術指導のために赴任した秋田の漆芸家生駒弘の自伝と日記の資料の比較から、自己記述の物語化、つまり過去の記憶を取捨選択したり、変容させたりすることで一貫性を持った物語を生成するはたらきに着目する。日記や自伝では、「あるべき自己」という物語によって、人生の中で出会う様々な出来事は取捨選択され、再解釈されて行くことを明らかにする。

1 はじめに
2 自己記述の物語化─日記と自伝の違い
3 自伝─自己を形成する物語
4 日記との比較─語りえなかった出来事
5 変容する事実─真摯なる虚構
6 おわりに─物語が紡ぐ自己の物語

11章 芦田恵之助の回想録と日記の比較から見る台湾表象と「国語」教育観(大岡響子)
帝国日本の植民地台湾は、内地から訪れた者によってどのように表象されたのだろうか。本章では、随意選題を提唱した国語教育者である芦田恵之助が台湾経験を綴った回想録と日記を比較し、訪台経験に関する記述の異同を精査する。その作業を通じて、芦田による台湾表象のあり方と「国語」教育観の関係性について検討する。

1 はじめに
2 芦田恵之助の台湾訪問と二つのテクスト
3 回想録における原住民族表象と「国語」教育観
4 教壇日記にみる台湾経験と回想録との比較
5 おわりに

Ⅳ 無数のひとりに出会う
12章 映画『タリナイ』上映から一年(講演記録)(大川史織)

二〇一九年開催のシンポジウム「近代日本を生きた『人々』の日記に向き合い、未来へ継承する」の二日目(九月二九日)午前、大川史織氏の初監督となる映画作品『タリナイ』を特別上映した(於明治学院大学白金校地アートホール)。その午後には映画上映からちょうど一年を迎える大川氏の講演企画を設け、映画とその姉妹編の書籍(大川氏編『マーシャル、父の戦場』みずき書林、二〇一八年)の制作にまつわる大川氏の歴史実践について語っていただいた。本章にはその貴重な記録を収める。

1 制作背景
2 残された手帳とノート
3 映画と書籍のつくりかた
4 誰のために日記を書いた?
5 日記をめぐる歴史実践
6 マーシャル諸島を再訪

13章−1 吉見義明氏インタビュー(聞き手▼田中祐介・大川史織)
吉見義明氏(中央大学名誉教授)は、長年にわたり市井の人々の日記資料を活用した研究を続けてこられた。日記資料との出会い、その後の読み解きのご苦労、「女性の日記から学ぶ会」へのご参加の経緯、今後の研究展望などを伺うために二〇二一年四月二五日(日)にインタビュー(オンライン)を実施した。インタビューの場には、戦時下のマーシャルで餓死した日本兵の日記(佐藤冨五郎日記)を読み解いたご経験のある大川史織氏にもご同席いただいた。なお本章後半(13章-2)には高度経済成長期の日記を読み解いた吉見氏の最新の論考を収める。

1 史料としての日記との出会い
2 ある女性の日記を追い求めて
3 「女性の日記から学ぶ会」の四原則
4 青木祥子日記との出会い
5 書かれなかったことをどう想像するか
6 日記に書かれている体験をたどる
7 コロナ禍における日記研究
8 今後の日記研究の展望

13章−2 戦争体験から高度成長期体験へ―「青木祥子日記」の検討から(吉見義明)
アジア太平洋戦争中に中島飛行機に勤めていた青木祥子は熱烈な軍国青年だった。日本の敗戦後徐々に転換して平和と民主主義を支持するようになる。また、一九五〇年代に小学校教員になってから高度成長期にかけて日本教職員組合と日本社会党を熱心に支持するようになる。しかし、この転換はなし崩し的に進んでいき、彼女の中には相当異なる意識・立場が混在していた。

1 はじめに
2 青木祥子における戦争体験と敗戦の意味
3 青木祥子と安保闘争
4 青木祥子と高度成長期体験
5 おわりに

14章 特別展示 花の日記に私注をつける(山田鮎美)
二〇一九年九月二八日、二九日開催のシンポジウム「近代日本を生きた『人々』の日記に向き合い、未来へ継承する」の会場(明治学院大学白金校地・本館一〇階大会議室)では、日記を主題とする展示企画を複数設け、来場者が自由に鑑賞できるようにした。本章では企画の一つである山田鮎美氏のパネル展示作品「花の日記に私注をつける」を紙面上に再現した。

15章 個人の記録を未来へ継承する(対談記録)(島利栄子・志良堂正史・田中祐介(司会))

二〇一九年開催のシンポジウム「近代日本を生きた『人々』の日記に向き合い、未来へ継承する」の初日(九月二八日)午後、二〇二一年に活動二五周年を迎えることになる「女性の日記から学ぶ会」代表の島利栄子氏と、二〇一四年に始動した「手帳類プロジェクト」代表の志良堂正史氏による特別対談の企画を設けた(司会は田中祐介)。個人の記録の蒐集に基づくそれぞれの事業の活動内容、共通点、相違点、今後の展望など、肩肘張らずに語った記録を本章に収めた。

1 それぞれの活動紹介
2 お互いの印象
3 活動の共通点・ちがい
4 活動のこれから

シンポジウム開催記録
執筆者一覧
あとがき


【執筆者プロフィール】

❶所属(専門)❷著作 ❸日記習慣

田中祐介(たなか・ゆうすけ)

❶❷明治学院大学教養教育センター専任講師(日本近代文学・思想史)
著書・論文に、「制度化された近代日記の読み解き方 近代日本の「日記文化」を探究する」(『REKIHAKU』第3号、文学通信、2021年6月)、「真摯な自己語りに介入する他者たちの声 第二高等学校『忠愛寮日誌』にみるキリスト教主義学生の「読み書きのモード」」(井原あや・梅澤亜由美・大木志門・大原祐治・尾形大・小澤純・河野龍也・小林洋介編『「私」から考える文学史 私小説という視座』勉誠出版、2018年)、『日記文化から近代日本を問う』(編著、笠間書院、2017年)など。
❸二〇一六年開催のシンポジウムの打ち上げで贈られた一〇年日記。その存在感と重みをひしひしと感じながら、立派な習慣には至っていません。「なぜ」自分は綴らないのか、書くことの意思と欲望が弱いのか、などと自問しながら、悶々とした日々を送っています。

柿本真代(かきもと・まよ)
❶京都華頂大学准教授(近代児童文化史)
❷「少年少女雑誌と日記帳─博文館・金港堂・実業之日本社を中心に」(『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』三四号、二〇二一年三月)、「近代日本におけるキリスト教児童文学の受容─Peep of Dayシリーズの翻訳をめぐって」(『キリスト教社会問題研究』六八号、二〇一九年一二月)、「教育手段としての日記が定着するまで─明治期少年の『日誌』にみる指導と規範」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)
❸原画展で購入したリサとガスパールの三年連用日記をたまに書きます。おそらく使い始めて三年以上経っていますが、気が向いたときしか書かないので中身はすかすかです。

河内聡子(かわち・さとこ)
❶東北工業大学講師(日本近代文学・雑誌メディア研究)
❷「如来寺蔵『雑誌抜粋』に見る近代メディアの受容と利用─明治期における仏教知の再編をめぐって─」(『リテラシー史研究』一三号、二〇二〇年一月)、「農民日記を綴るということ─近代農村における日記行為の表象をめぐって─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年一二月)
❸日記を綴る習慣はありません。家計簿をつける習慣もありません。レシートを撮影すればデータ化されるという家計簿アプリを使用しようと思いましたが、それすら続けることができませんでした。

鬼頭篤史(きとう・あつし)
❶京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学(近現代日本のサラリーマンの歴史)
❷「『サラリマン物語』出版以前の「サラリーマン」は何者として語られ把握されたか」(『風俗史学』第六四号、二〇一七年三月)、「大正末期〜昭和初期の店員像─雑誌『商店界』を中心に─」(『風俗史学』第六〇号、二〇一五年三月)、「大正末期〜昭和初期のサラリーマンの模範像─『実業之日本』における「サラリーメンの頁」を中心に」(『人間・環境学』第二三号、二〇一四年一二月)
❸小学校の課題として書かされたグループ交換日記など、義務教育の一環で日記を綴ったことはありますが、自発的に書いたことは一度もありません。
 手帳は、高校入学時に親からシステム手帳を使うように勧められてから、小さなメモ帳や小判のノートなどと、システム手帳とを並行して使用してきました。常時携帯するのはメモ帳や小判のノートで、スケジュールをメモしたり、思いついたことや疑問を整理する目的で書いたりしています。一方、システム手帳は失くさないようにするために自宅に置いておき、住所録や名刺入れとして使っています。

志良堂正史(しらどう・まさふみ)
❶ゲームプログラマー/手帳類プロジェクト
❸個人事業主になったのを機にSlackというウェブサービスに書くようになりました。主に個人プロジェクトと向き合い作業感覚を維持する意図があります。もちろん本業の忙しさに比例して文字数は減るのが実情です。それでも続けることで仕事以外の取り組みを細々と継続する力になってくれればと願っています。

竹内瑞穂(たけうち・みずほ)
❶愛知淑徳大学文学部教授(日本近代文学・文化史)
❷「『若草』の波紋─読者投稿欄の論争を読む」(『文芸雑誌『若草』』翰林書房、二〇一八年)、『〈変態〉二十面相─もうひとつの近代日本精神史』(六花出版、二〇一六年)、『「変態」という文化─近代日本の〈小さな革命〉』(ひつじ書房、二〇一四年)
❸夏休みの宿題として強制的に書かされた日記がトラウマとなり、それ以降全く綴ることもなく人生を歩んで参りました。おそらく日記に対するそうした怠惰な態度が祟ったのでしょう、あと数年は中村古峡の(非常に読みづらい)日記の読解をし続けなければならないようです。

堤ひろゆき(つつみ・ひろゆき)
❶上武大学ビジネス情報学部講師(日本教育史・学校文化史)
❷「大正期の教育実習日誌におけるまなざしの往還─師範学校生徒はいかにして教員となったか─」(田中祐介編著『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、「旧制中学校における「校友」概念の形成─1890年代の長野県尋常中学校の校内雑誌『校友』を手がかりとして─」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』第五四巻、二〇一五年三月)、「学校報国団による生徒の「自治」の変化─長野県松本中学校の「自治機関」に注目して─」(東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室『研究室紀要』第四一号、二〇一五年七月)
❸大学四年生の頃、一年間にわたって大学ノート四冊分の日記をつけていましたが、①一日あたりの記述がなぜかどんどん長くなり負担に感じたこと、②振り返ってみたときにふと一抹のむなしさを感じたこと、などからつけなくなりました。ほどよい頃合いの日記はつけたいと思っています。

徳山倫子(とくやま・りんこ)
❶日本学術振興会特別研究員(PD)(農村女性史・女子教育史(近代日本))
❷「1920─30年代における県農会立女学校の指導理念と教育内容」(『農業史研究』第五四号、二〇二〇年三月)、「書記行為から〈女学生〉イメージを再考する─白河高等補習女学校生の日記帳と佐野高等実践女学校校友会誌を題材に─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、「1930年代の公立職業学校における女子教育─大阪府立佐野高等実践女学校を中心に─」(『日本の教育史学』第五九集、二〇一六年一〇月)
❸前回の論集で「かつて綴った〈内面の日記〉はすでに燃やし、以後は綴っていない」と答え、今も変化はありません。ただ、最近になって、もう一度読み返してみたいと思う瞬間があったことが心境の変化でしょうか。「燃やさなくても良かった」と思う自分になるためには、「燃やさなければ先に進めない」自分を越えなければならない─日記を綴り、読み返し、処分し、それを悔いるという一連のサイクルもまた、日記文化を形成している─ということを体感するにつけ、過去を葬り去りたくならないような人生を送ることの大切さを噛み締めてしまいます。

大木志門(おおき・しもん)
❶東海大学文学部教授(日本近現代文学)
❷『徳田秋聲と「文学」─可能性としての小説家』(鼎書房、二〇二一年)、『水上勉の時代』(共編著、田畑書店、二〇一九年)、『「私」から考える文学史─私小説という視座』(共編著、勉誠出版、二〇一八年)、『徳田秋聲の昭和』(立教大学出版会、二〇一六年)
❸酷いものぐさなのと自分のことに関心が薄いので夏休みの宿題以外で日記を付けたことはありません。他人の人生の物語を読む方が好きなのです。ただし、娘が生まれてから夫婦で毎日のように娘の写真を撮るようになったので、事実上それが日記の役割を果たしています。

西田昌之(にしだ・まさゆき)
❶チェンマイ大学人文学部日本研究センター客員助教授・国際基督教大学アジア文化研究所研究員(文化人類学・地域研究(東南アジア))
❷「チェンマイ漆器の復興と産業化─1957-1961年漆芸家生駒弘による技術移転をめぐって─」(『年報 タイ研究』 二〇号、二〇二〇年八月)、「近現代タイの日記文化─国民教導としての読ませる日記から民主化の黎明へ─」(田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』笠間書院、二〇一七年)、”The Emergence of a Nature Conservation Ritual: Local Negotiations with Environmentalism in Northern Thailand.”(『アジア文化研究』三九号、二〇一三年三月)
❸日記ではないかもしれませんが、調査時にフィールドノートをつけています。またFacebookの投稿がほぼご近所探検と旅の日記になっています。この研究会に感化され、そろそろ三年日記をつけてみようかなとも思っていますが、三年間なにも変わっていない事実を知ることになるのが怖くてまだ手を出せていません。

大岡響子(おおおか・きょうこ)
❶国際基督教大学アジア文化研究所研究員(文化人類学、台湾史研究)
❷「飲食文化」(赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための七二章』、明石書店、二〇二二年三月刊行予定)、「植民地台湾における内地刊行雑誌の受容に関する一考察 『赤い鳥』読者会員名簿を手掛かりに」(『リテラシー史研究』一四号、二〇二一年一月)、「植民地台湾における綴方教育の展開と教員 『台湾教育』と『第一教育』を中心に 」(『天理台湾学報』二九、二〇二〇年七月)
❸あいかわらず日記を綴る習慣はありませんが、コロナ禍の蟄居生活の息抜きによく散歩をするようになり、写真を撮るようになりました。写真に一言添えて、月一くらいで簡単なアルバムを作っています。ただ写真は見返せても、内面を綴った日記などは恐ろしくて見返せないとの感を新たにしたこの頃です。

大川史織(おおかわ・しおり)
❶国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(歴史実践)
❷『なぜ戦争をえがくのか─戦争を知らない表現者たちの歴史実践』(編著、二〇二一年、みずき書林)、『マーシャル、父の戦場─ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』(編著、二〇一八年、みずき書林)
❸コロナ禍で日記映画の制作をスタートし、プロデューサーの藤岡みなみさんと一日交代で日記を綴る習慣ができました。

吉見義明(よしみ・よしあき)
❶中央大学名誉教授(日本近現代史)
❷『買春する帝国』(岩波書店、二〇一九年)、Grassroots Fascism: The War Experience of the Japanese People, Columbia University Press, New York, 2015.、『焼跡からのデモクラシー』全二巻(岩波書店、二〇一四年)
❸中学生時代に担任の先生に全員が日記を書いて出す制度があり、毎日書いていましたが、卒業と共に書かなくなりました。二年生の時の日記がでてきたので、読み返したのですが、今でも記憶に残っていることの多くが日記には書いてなく、また、記憶にまったくないことが日記に書いてあることを知って愕然としました。定年退職後、手帳に一行でも記録しようと思いながら続きません。

山田鮎美(やまだ・あゆみ)
❶デザイナー
❸一六歳の頃から小さいノートに日記を書くことを続けています。頻度は毎日書くときもあれば半年ほど空けるときもあり、気まぐれです。長い独り言のようなノリでいつも書いています。

島利栄子(しま・りえこ)
❶「女性の日記から学ぶ会」代表(庶民の日記の蒐集・保存・研究)
❷『時代を駆けるⅡ吉田得子日記 戦後編 1946-1974』(二〇一八年)、『親なき家の片づけ日記 信州坂北にて』(二〇一五年)、『手紙が語る戦争』(二〇〇九年)。三冊ともみずのわ出版。
❸小学2年生で先生に褒められて以来六七年間、書き続けている(飛び飛びの個所もあり)。