『憶えている』から思い出す——新しい読者の立場から岡田林太郎さんに出会う(北﨑花那子さん)

2023年11月25日(土)に開催した「近代日本の日記文化と自己表象」第38回研究会(特別回)は、同年7月3日に逝去された岡田林太郎氏の著作『憶えている——40代でがんになったひとり出版社の1908日』(コトニ社、2023年)を主題として取り上げました。

研究会は多くのご参加者に恵まれ、同書の感想を様々に寄せていただきました。その中で北﨑花那子さん(当時早稲田大学大学院教育学研究科修士課程2年、現在は同後期課程2年)は、生前の岡田さんと直接の面識がない「新しい読者の立場」として、同書をどう読み、岡田さんの言葉を受けとめたかを語ってくださいました。

同書の「はじめに」で、岡田さんは「過去のブログを振り返りながら、いま何を考えているかを書くという行為は、未来へ、他者へ向けて思い出を投げかける行為でもあるだろう」と書いています。北﨑さんは面識のない未知の「他者」(読者)の立場から、岡田さんの「思い出」に真摯に応答くださいました。岡田さんと親交を深めていた私(田中祐介)個人にとっては、岡田さんが遺した言葉が、さっそくに未来の読者に届き、受け渡された瞬間とも思われて、感銘を覚えながらお話を聞きました。

逝去から2年目の命日を迎えたこのタイミングで、北﨑さんのご諒解とご協力を得て、当日お話くださった内容を文章化して、以下に掲載いたします。岡田さんの言葉を受けとめた北﨑さんの言葉が、今度はこれを読むみなさまに届き、『憶えている』を開いて岡田さんに再会し、あるいは新たに出会う契機になることを願います。北﨑さんが語るように、本を開くたびに言葉は新たな意味を発し、読者に受け渡されてゆくことでしょう。それは岡田さんが「書くこと」を通じて未来へ投げかけた思い出を、多様な読者が媒介となって、さらに未来へと繋ぐことになるのだと思います。

様々な立場からどう読むか——新しい読者の立場から
 さきほどご紹介いただいたように、私は岡田さんとは面識もなく、岡田さんも私のことは存在自体まったくご存知ではなかったと思います。ですが、日記でめぐる1945年の出版プロジェクトにお手伝いという形で関わらせていただくことになった際に、田中さんのほうから、版元が変わることと合わせて、みずき書林のことや岡田さんのことを簡単にご紹介いただきました。その時、「ブログもあるのでよかったら見てみてください」と教えていただき、このプロジェクトを、どんな人たちがどんな思いで作り受け継いできたのか知りたいという気持ちで、最新のものから遡ってブログを読みました。
 新しい時期の記事には、岡田さんの出版にかける思いなども書き込まれていたので、読んでいてすごく厳かな気持ちになりました。縁が重なりあったのだから、自分もしっかりとプロジェクトに取り組んでいきたいと思ったのが読み始めの印象でした。その後も興味を惹かれて、ブログの記事自体、膨大な数があったかと思うのですが、ごく古い時期の記事まで、遡る形でどんどん読み進めていきました。
なかでもよく憶えているのは、『夜と霧』を書いたフランクルの、人生の意味についての言葉(ヴィクトール・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』春秋社、1993.12)を大事にして病気と向き合っているという内容の記事です。自分にとっても『夜と霧』はすごく意義深いというか、特別な本だったので。岡田さんが、フランクルの言葉を携えて人生を見つめておられるのだと共鳴して、特別な感慨を覚えたことを田中さんにお伝えした時に、こういった会がいずれあるので、その時に「新しい読者の立場から」ご感想をいただけますか、と言っていただきました。
 ブログを新しい記事から古い記事へ遡って読んでいくと、どんどんお元気だった時期に近づいていくので、最初は日記のプロジェクトのことや出版のことを真摯な気持ちで読んでいたのが、たとえばお料理がすごくお好きなんだ、とか、すごくお酒を飲んでいる日の記録が大量に出てくるとか(笑)、書かれている内容も変わっていって、お会いしたことはないながらに、ご趣味であったりお人柄であったりをなんとなく感じていました。映画がすごくお好きだったということで、タランティーノは人生の青春の映画だと書かれた部分を読んで、いつ頃、どんな風に青春を感じていたんだろうとか、自分もすごくタランティーノが好きなので、もしもお会いする機会があったら、そういった話もできていたのかな、なんて想像も巡らせてしまいました。それこそ、お会いできていたら、学ばせていただけることがたくさんあったんだろうなと思いながら読んでいました。
 『憶えている』をいただいたのはごく最近で、この本の構成は古い方から新しい方へ時が流れていくようになっているので、その時に初めて、順を追って記述を読んでいったんです。時期も空いたので、最初にブログの記事を遡って読んだときとはまた違った体験でした。本になった『憶えている』を改めて読むことで、岡田さんはこういったことを考えておられたんだ、こういったことにもご関心が深かったんだな、と思いながら、ゆっくり岡田さんと出会っていくような気持ちになりました。
 『憶えている』のなかで、保苅実が残した「勇敢で冷静、そして美しくありたいと感じています」という言葉が、岡田さんのなかに引っかかっていたと書かれていたんですが、岡田さんが保苅の言葉から何かを受け取ったことが、自分がいま、岡田さんの言葉から何かを受け取ったことと重なりあうようで、不思議な気持ちを抱いています。保苅の言葉を受けて生まれた、「勇敢に、丁寧に生きていたい」という岡田さん自身の言葉が、岡田さんの言葉として自分の中に根付いてゆく感覚があるんです。
 民俗学の大学院に行く学生にアドバイスをされたというエピソードには、「彼が読むときのために書いておくけれども、学ぶことってかけがえのない生きる目標になる」という言葉が残されていました。勿論この言葉は私に言われた言葉ではなく、本当に全く自分には関係のない言葉なのだけれど、エピソードや言葉が、同じ院生の立場だからか、琴線に触れてしまって、ひどく胸に刺さりました。初めて本を読んだ時、すこし泣いちゃったりもして、普段自分はそんなに涙脆い方ではなく、本や映画を見て涙するということもなかったので、自分でもどうして? と不思議に思ったのですよね。会ったこともないのに、どうしてこんなに届いてしまっているんだろうと考えながら読んでいました。
 岡田さんと会ったことがなくても、目の前に岡田さんがいらっしゃらなくても、岡田さんの言葉自体が意味を発するのをやめることはないんだということを、感覚的に感じています。来年も、再来年も、岡田さんが遺された言葉はずっと意味を発し続けていて、その意味は読者によって違う。また、岡田さんに会ったことのない誰かがこの本を読むかもしれないけれど、その時も同じように、言葉たちは意味をずっと発していて、それを誰かが受け取るということが、これからもあるのだろうという風に思いました。
 『憶えている』の506頁で、岡田さんが、自分の本を面白いと思ってくれる人も一定数いるのかもしれない、自分の本もまた誰かに何かを感じさせるものになっているかもしれない、と少しだけ言及しているんです。本の中では何度も、このブログやこの本は、岡田さんご自身の親しい人だったり、大切な人に向けて書いているもので、ハウツーでも闘病記でもないと明言されていたこともあって、他者である自分がどうしてこんなに強く揺さぶられてしまうのだろうという気持ちがあったのだけれども、この記述を改めて目にして、岡田さんがそうなるかもしれないと思われたとおりに、この本は誰かに何かを感じさせるものに実際になったのだと、そしてその誰かのなかのひとりが私だったのだと、しみじみ感じました。
 ブログを初めて読んだ時に、自分が死に向かうときにも、ここに書かれた言葉を思い出すのではないか、というような予感がしたんです。きっとたくさんのことを思い、考えるだろうけれど、その一つとしてこのブログのことも思い出すのではないだろうか、となんとなく、本当になんとなく思ったことがあったのですが、今はむしろ、もっと日々の中でこの本のことを思い出す機会が増えていくんだろうという予感が強くなっています。たとえば先週は、まだ大川さんの映画『タリナイ』を観たことがなかったのですが、その後、観てから本を読むと、マーシャル諸島の音楽を聴いていたという記述が、一体どんな音楽だったのかすごくよくわかってまた新しい感覚に出会いました。吉田得子日記についても、ブログを読んでいた時には全く知らなかったのですが、つい先日「女性の日記から学ぶ会」の日記の展示で、吉田得子日記の現物を目にした経験がある状態で『憶えている』を読むと、まったく違う印象を受けました。自分が来年再来年と、生きている時間を重ねるごとに、この本を読んで感じることや、共通の引っ掛かりが増えていって、思いを巡らせることもどんどん増えていくんだなと思います。何度も何度も読むたびに、今はまだわからないものも、この本を通していつか、受け取ることができるようになるんじゃないかな、という風にも思っています。
 あまりうまく伝えられなかったのですが、未来の読者としてわたしが岡田さんの言葉が発する意味をこんなにも受け取ってしまったのは、岡田さんご自身がすごく難しい、勇敢に丁寧に生きてゆくということを実行された方であって、その方が遺した言葉だからこそということが大きいのではないかなと思っております。わたしが岡田さんに会うことはもう叶わないけれど、それでも、今よりももっと深く、観念的に本を通じて出会ってゆくということはできるんじゃないかという風に思いながら、今日はお話をさせていただきました。
 拙い話で大変恐縮ではございますが、お話する機会をいただき、本当にありがとうございました。

北﨑花那子