岡田林太郎さん(みずき書林代表)のこと――「近代日本の日記文化と自己表象」第38回(特別会)の開催報告に代えて

2023年11月25日(土)に開催した「近代日本の日記文化と自己表象」第38回研究会では、岡田林太郎『憶えている——40代でがんになったひとり出版社の1908日』(コトニ社、2023年)を題材として取り上げました。研究会の内容を踏まえながら、2023年7月3日(月)にご逝去されたみずき書林代表の岡田林太郎さんとの出会いと交流、そして『憶えている』のことを記しておきたいと思います。

研究会冒頭では、岡田林太郎さんと「近代日本の日記文化と自己表象」研究会の関わりについて私(田中祐介)がお話しました。岡田さんと私が知り合ったのは、2013年11月、国際基督教大学で開催された国際学術大会の会場でした。私は共催団体である同大学アジア文化研究所のスタッフとして会の運営補助につき、岡田さんは大会を後援する勉誠出版の社長として、社員の堀郁夫さんを伴っての参加でした。

名刺とともに、同年3月に公開に至った「近代日本の日記帳」の目録を岡田さんにお渡ししました。そうしたところ、岡田さんは即座に「1945年の日記に関する企画があるんですが、やりませんか」と誘ってくださいました。初対面で大きな企画を投げてくる人だなと、なかば面食らいつつも嬉しく、しかし当時の私は「日記文化」研究のプロジェクトを立ち上げてもおらず、その企画を引き受ける能力も人的繋がりも不十分であるとの自覚があり、即答することはできませんでした。

幸い翌年に科学研究費助成事業が採択された私は、岡田さんにその旨をご報告し、企画について相談する機会をもちました。私が会員である「女性の日記から学ぶ会」にご協力を仰いではと、岡田さんをお誘いして定例会に参加したこともありました。2014年9月20日(土)に開催した「近代日本の日記文化と自己表象」第1回研究会にも、懇親会までご参加くださいました。

勉誠出版の社長として多忙極まる岡田さんとの交流は、そこで一度途絶えました。以後、私は「日記文化」研究を進め、田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院、2017年)にまとめました。その書評会も済み、一息ついた気分であった2018年4月、岡田さんが3月に勉誠出版の社長を退き、「ひとり出版社」としてみずき書林を立ち上げたと耳にして驚きました。

2018年の夏、みずき書林から大川史織編『マーシャル、父の戦場』が刊行されることを知り、研究会でも周知したいと思い、久しぶりに岡田さんにご連絡をしたところ、嬉しいことに第18回研究会(9月15日)に参加くださり、約4年ぶりの再会を果たしました。

再会からまもない2018年9月29日(土)には、渋谷アップリンクにて、大川史織さん監督の映画「タリナイ」が上映を迎えました。その日に映画を鑑賞し、居合わせた岡田さんと初めて二人で飲む機会を得ました。気が合ったというか、話も弾み、以後はことあるごとに(あるいは何もなくとも)二人で飲み、語る機会をもつようになりました。研究会にもほぼ毎回、懇親会も含めてご参加くださり、交流は深まりました。

2020年に新型コロナ禍を迎えてからは、お互いに不自由さをかこちながら、戦時下の女学生の日記を読み解くオンライン研究会にご参加いただき、可能な機会には閑散とした飲食店の隅で2人で飲むなどしていました。藤岡みなみさんが開催したオンラインイベントに、2人でアバターで参加したこともありました(写真参照)。

2021年の夏に岡田さんが病を得てからも、交流は続きました。その時の様々な思い出については、またの機会に譲るとしましょう。

私が最後に岡田さんに面会できたのは2023年6月27日(火)でした。みずき書林に赴き、30分ほど会話をして、前年度から本格的に岡田さんと始動した出版計画についても、助言をいただきました。柄にもないことですが、病床の岡田さんの手に手を重ねたところ、もう一方の手を重ねてくださいました。あとから大川さんが「田中さんが手を握ってくれましたよ、と岡田さんが話していましたよ」と伝えてくださいましたが、何となく気恥ずかしく、また握ったりしては本当に最後になるような気もしたので、つい「握ってはいません、重ねただけです」と答えてしまいました。

岡田さんが執筆を進めていた『憶えている』を題材とした研究会を開催しようと思い立ったのは、告別式から1ヶ月ほど経った2023年8月の頃です。追悼の念はもちろんありながらも、「日記を再読しての自己語り」という研究会の関心事にまさしく適した題材として、あくまで研究会の形式で開催したいとの思いがありました。ありがたいことに配偶者である岡田裕子さん、出版元であるコトニ社の後藤享真さんのご賛同も得られ、特別回として11月25日(土)に開催することになりました。

おかげさまで当日は、対面オンラインあわせて40名を越える盛会となりました。講演企画として、後藤享真さんには書籍の内容はもちろん、出版に至る経緯についても詳しくお話いただきました。体調が安定しつつも多くの仕事を手放してしまった岡田さんに、新しく専念できる仕事があればとの思いから、ご自身での執筆を提案するに至ったというエピソードには、後藤さんの真摯で温かいお人柄がとてもよく表れていると思います。

ご多用のなかコメントをくださった島利栄子さん(「女性の日記から学ぶ会」代表)、小澤純さん(慶應義塾志木高等学校教諭)、北崎花那子さん(早稲田大学大学院教育学研究科修士課程2年)、堀郁夫さん(図書出版みぎわ代表)にも御礼を申し上げます。「お元気でいたらどれほど多くのことを教えていただけただろう」と悔しそうに語ってくださった島さん。生前の岡田さんと面識のない立場から「来年も再来年もその先も、岡田さんの言葉は読者に意味を発することをやめない」と遺された言葉の力を実感させてくださった北崎さん。ブログに基づく書籍が生まれた意味を詳しく説きながら、岡田さんが弱さ、小ささ、遠さにこだわった出版人であったことを再確認くださった小澤さん。岡田さんと同じひとり出版社の立場として書籍に勇気づけられるとしながら、様々に開かれた読みの可能性に触れてくださった堀さん。みなさん本当にありがとうございました。

ご来場くださったみなさんにも、重ねて感謝を申し上げます。企画をした人間として、より多くの方々にご発言いただけるよう、もっと時間に余裕をもたせるべきだったとの反省はありますが、意味ある時間をお過ごしいただけたとしたら、大変嬉しく思います。

研究会の最後では、僭越ながら司会者である私みずから、『憶えている』の書名を話題にしました。岡田さんはこの書名について、「僕自身がこの5年間のことを憶えている、という意味があるのはもちろんですが、読者が僕がいなくなった後も僕のことを憶えていてほしい、という願いも込められています」と書いています

しかし悲しいことに、人間の記憶は忘却と表裏一体です。憶えていたい意思と、忘れてしまうことへの恐れは、時間が経過し、遠ざかる過去に対して抱く一つの感情の別名とも言えます。岡田さん自身、『憶えている』の中では、「よく憶えている」(239頁)と書くこともあれば、ほんの一年ほど前のブログについても「詳しいことはなにも憶えていない」(366頁)と書くこともありました。気がついたら忘れてしまっている。そんな儚い人間の記憶を頼りにした書名にして、岡田さんの「憶えていてほしい」との願いは果たされるのでしょうか。

人間は忘れてしまう。しかし一方で、言葉や事物を手がかりとして思い出すことはできます。『憶えている』でも言及される『わたしは思い出す』(2023年、remo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織])は、まさにそのような想起の語りが主題となる作品です。岡田さんが自身の想起の言葉を重ねた『憶えている』も、将来にわたり、岡田さんのことを思い出し、記憶を鮮やかにする手がかりになるでしょう。そうであるならば、「憶えている」より「思い出す」の方が、記憶の深い領域に迫るものとして優れた主題なのではないか、などと岡田さんに揶揄まじりで聞いてみたい気がします。

しかし結論から言えば『憶えている』の書名は、やはりこのままで良かったのだと思うのです。岡田さんのブログでこの書名に初めて接した際、即座に想起したのは、大川史織さんの初監督映画「タリナイ」の広告に掲げられた「忘れた環礁は、憶えている」の一文でした。一方が忘れてしまい、他方が憶えているという非対称性を表すこの文言は、日本とマーシャル諸島の歴史と記憶に関して熟考を促す映画の本質を穿った表現として、深く心に残りました。

「環礁」を「忘れた」主体が日本側であるとして、いつ、なぜ、どのように忘れてしまったのか。具体的には、国、当事者、国民全体、どの水準で忘れてしまったのか、といった問いを多岐に生み出します。

一方で、「憶えている」の主体は「環礁」です。「環礁」を一つの空間とみなすならば、そこにはマーシャルの景色——空や海、土地があり、人々の喜怒哀楽や生活があります。空間には時間が常に流れ、歴史があります。そのように時間的な奥行きのある空間においての「憶えている」とは、個人の記憶を超えた、いわば集合的な記憶です。それも強い誰かが意図した作為的な記憶ではなく、景色や事物、そして無数の人々の心の中に、様々な濃度と色合いにより刻印され、遍在する記憶と言えるでしょう。そのような意味での集合的な記憶は、時間の経過とともに堆積し、厚みのある層を成して、容易に失われることはありません。

話を『憶えている』の書名に戻せば、人間は忘れてしまうが、思い出すことはできる。ではなぜ、そもそも思い出すことができるのか。それは普段は必ずしも意識しない記憶の深層で、強固に憶えているからこそだと言えます。そこまで考えてみると、書名の『憶えている』は、「忘れた環礁は、憶えている」とも重なり、共鳴しながら、時間の経過とともに堆積する厚い記憶の層に届く文言として、相応しく思われてくるのです。実際に岡田さんがどれほど自覚的に、あるいは無意識的にも「憶えている」を選んだのかは確かめようがありませんが、私自身はこのように書名を受けとめました。

『憶えている』をめぐる集合的で遍在的な記憶とは、少々月並みな物言いだとしても、岡田さんを憶えている人々が様々にもつ岡田さんの思い出の集合です。書籍に留められた岡田さんの言葉に向きあい、ともに語りあうことで、忘れていたはずの遠い記憶を思い出すこともあるでしょう。話し手の記憶が分有され、聞き手の新たな記憶となることもあるでしょう。あるいは生前の岡田さんを知らない新しい読者は、岡田さんという人を想像し、語ることで、それ自体が新しい記憶となり、「憶えている」ことに繋がるでしょう。『憶えている』がこの先、未知の読者に出会いながら、岡田さんを思い、語り、思い出すための大切な手がかりとして読まれ続けることを願います。

研究会の場では時間切れで言えないままでしたが、今一度、追悼の気持ちを前面に出すならば、林太郎さん本人に対しては、記憶は時に薄らぐとしても、君が遺してくれた言葉によっていつでも思い出すことができる。そして思い出すことができるのは、記憶の深層でしっかりと憶えているからこそで、決して君のことを忘れはしない。だから安心していてほしい。そう伝えたいと思います。

まずは当面、岡田さんと意気投合した10年越しの出版企画を早期に結実すべく、10年前には想像もできなかった人と人との繋がりに感謝しながら、制作を進めてゆく所存です。

以上、長文の投稿となりましたが、『憶えている』に触発され、日記やブログという日々の記録もそうですが、思い考えたことを記録しておく意味と大切さを実感し、ここに言葉として留めておきます。

2023年12月27日
田中祐介

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