【開催報告】第12回研究会

 2017年7月15日に開催しました第12回研究会は、25名がご参加下さる盛会となりました。ご来場下さったみなさま、ありがとうございました。

 第13回研究会は2017年9月16日(土)の開催を予定しております。報告者はお二方、服部徹也さん(慶應義塾大学大学院)と、河西英通さん(広島大学教授)です。また開催の一ヶ月ほどに、詳細をご案内申し上げます。
 今回から、参加記録を持ち回りでつけ、公開することにしました。第12回研究会は、徳山倫子さん(京都大学大学院・日本学術振興会特別研究員DC2)がご担当くださいました。下記、ご参照ください。

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第12回研究会参加記

第12回研究会では、「戦後経済成長期のアイデンティティ変容:農村・女性・エゴドキュメント」という特集で、戦後の農村女性をめぐる言説や自己表象に関する2本の研究報告が行われた。

第1報告は、戦後の農村女性が対象となった生活改善普及事業について研究をしている岩島史氏(明治大学・学振PD)による、「高度経済成長期における農村女性の自己表象―生活改善実績発表大会の文集より―」である。今回の報告では、農林省生活改善課により開催された生活改善実績発表大会参加者の体験記が掲載された文集を資料として、農村女性の自己表象について検討がなされた。体験記に記された農村女性像は以下の3パターンに分類された:①1950年代に問題視された農村女性の「過労」からの解放を目指す「新しい農家の嫁」像、②生活改善普及事業に加え都市言説が求める主婦像の影響を受けた1960年代における「農家の母」像、③生活改善普及事業では推奨されなかった女性が農業労働の中心となることを肯定的に綴った「農業者」としての女性像である。生活改善普及事業からの働きかけのみならず都市言説も取り入れ、そしてときに政策意図から逸脱した自らの経験を綴る農村女性の姿が析出されたが、その背景には兼業化の進行や農業・農村の「劣位化」への不安感があったとの見解が示された。

第2報告は、農村部で広く普及した雑誌『家の光』について研究をしている河内聡子氏(東北大学)による、「高度経済成長期における農村女性の理想像をめぐって―「家の光家計簿」の成立と展開にみる―」である。今回の報告では、『家の光』でしばしば付録とされた家計簿を綴るという行為が、『家の光』誌上における「理想的な農村女性像」言説のなかでどのように意義づけられたかについて検討がなされた。女性が家計簿を綴ることは戦前期から推奨されていたが、『家の光』でこれが盛んに説かれたのは1950年代になってからであった。女性が家計簿をつけることは生活の合理化のみでなく、家事を担う女性の家庭内における地位向上に繋る行為であり、農村女性に「主婦」としての主体性を付与するための象徴として家計簿が機能していたという見解が示された。

報告ならびに質疑応答のなかで見出された両報告に通じる論点は、以下の2点に要約されよう。

1点目は、農村女性の「あるべき姿」の変容である。河内報告では、戦前期から見られた「都市を否定して農村に価値を見出す」という言説が1950年代に転換期を迎えていたことが確認できたが、これは『家の光』誌上で企画されたミスコン(「ミス・クミアイ」や「ミス・農協」)においても表象としてもあらわれていた。同誌のミスコンにおける1950年代前半の受賞者のグラビアは野良着を着て汗を流しながら働く姿であったが、1950年代後半には洋服を着てポーズを撮る姿へと変化していた。これは、1950年代に農村女性の「過労」からの解放が求められたという岩島報告における見解とも重なるところであろう。1960年代には『家の光』の他にも新聞やラジオ番組などのメディアから情報を得る機会が増え、都市言説の影響をより強く受けるようになったとともに、母としての教養を身につけることが望まれるようになった。両報告からは、言説空間で望まれた農村女性の「主婦」化と、それが容易に実現せずに現実との折り合いを模索する農村女性の姿が見出されたのではないだろうか。

2点目は、農村女性が「綴る」ことの困難さである。発言力を持たなかった農村女性が私的領域で自己を綴ることは難しく、女性たちが集まる集会などの公的な場において自ら綴ったものを読み、語りあうところから自己表象は行われた。家計簿も例外ではなく、近隣に住む女性どうしで家計簿を見せ合い、互いの家計について問題点を指摘しあうという記事が『家の光』に掲載されていた。フロアからは、河内報告では農村女性の「わたしたち」の意識、すなわち集団的アイデンティティ(「農村の女」・「主婦」・「農村婦人」)が中心に検討されたが、彼女たちの「わたし」の領域、換言すれば集団的規範に必ずしも染まらない私的領域のありかたをどう考えればよいかとの趣旨の質問がなされた。集団的規範への批判や逸脱の事例などを踏まえれば、農村女性の姿をより多角的な視点から描くことができると考えられるが、このようなことを明らかにするうえでの日記資料の可能性についても言及された。農村女性の自己表象を明らかにする試みは始まったばかりであり、多様な史料の発掘ならびに分析が今後も期待される。

徳山倫子(京都大学大学院・日本学術振興会特別研究員DC2)

「書くこと」の歴史を問うためにーー研究視座としての「日記文化」の可能性と学際的・国際的連携

『日本近代文学』第96集(2017年5月)の「展望」欄に寄稿した田中祐介「『書くこと』の歴史を問うために——研究視座としての『日記文化』の可能性と学際的・国際的連携」のPDFデータを公開します。2014年度から2016年度にかけての科学研究費助成事業の成果を踏まえ、近代日本の「日記文化」を扱う意義と今後の展望を考察したものです。ご一読頂ければ幸いです(閲覧は下記リンク先から)

「書くこと」の歴史を問うために