映画『タリナイ』の上映後にゲストとして登壇します

2018年9月15日開催の第18回研究会にて、大川史織編『マーシャル、父の戦場』(みずき書林、2018:https://www.mizukishorin.com/marshall)と、編者である大川さんが監督を務められた映画『タリナイ』(https://www.tarinae.com)をご紹介しました。

戦時下のマーシャルで餓死した日本兵の佐藤冨五郎さんは、死の間際まで日記を綴っていました。それが奇跡的にご遺族のもとに渡り、時を経て、読み解かれる。この書籍と映画は、冨五郎日記が後世に遺らなければ、生まれなかったと言えるでしょう。

映画は2018年9月29日(土)より渋谷アップリンクにて上映開始、好評により11月30日(金)まで期間延長しています(12月1日より横浜シネマリンにて上映)。このたび縁あって、当ウェブサイトの管理人(田中祐介)が、30日の最終日に上映後にゲストとして登壇することになりました:http://www.uplink.co.jp/movie/2018/52198

間際のご案内とはなりますが、みなさまこの機会にぜひ映画をご覧になってください。

【開催報告】第16回研究会

2018年5月19日(土)に開催いたしました第16回研究会の参加記を、徳山倫子さん(京都大学)がお寄せくださいました。当日のお二方のご報告を踏まえ、『日記文化で近代日本を問う』の問題意識に繋がるご考察をいただき、感謝申し上げます。以下、ぜひご一読ください。

なお、第17回研究会は7月15日(日)に開催予定です。詳細は追ってご案内申し上げます。

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第16回研究会参加記

第16回研究会では、ハンセン病患者の自己表象に関する報告と、農民運動家の渋谷定輔の日記や書簡を用いた農民運動に関する報告の2本の研究報告が行われた。

第1報告は、大野ロベルト氏(日本社会事業大学)による、「『癩患者の告白』と北条民雄―自己表象の内発性/外発性について―」である。大野氏は先に出版された論文集『日記文化から近代日本を問う』でハンセン病患者として作家となった北条民雄の日記について分析しており(第7章「権力と向き合う日記―北条民雄と読者・文壇・検閲―」)、今回の報告はこれまでの成果を踏まえながら、考察の対象を作家ではないより一般的なハンセン病患者の書記行為に広げたものと言える。

分析に用いた『癩患者の告白』は1923年に内務省衛生局により編纂され、1934年に再版されたものであり、106の「告白」が収録されている。同史料の発行の経緯や意図などは不明点も多いが、今回の報告では「告白」の文体や内容についての分析がおもに行われた。文体については、「告白」のなかには詩歌を交えて長文で自らの生い立ちを綴ったものもあるが、失明により執筆が困難な者や子どもの文章も含まれており、後者のような事例は個性のない報告文のような文体で綴られていることから、聞き取りに基づいて第三者が執筆したことが示唆された。内容については、療養所入所前の過酷で不幸な半生と入所後の安穏が対比的に綴られる傾向があったことが指摘された。『癩患者の告白』の「凡例」には「原文の保存に留意」し、「可成修正を加へざることなり」という但し書きがなされていたが、収録されている「告白」から浮かび上がるのは、匿名性による不透明な「自己」の存在であった。

一方で、作家として療養所で暮らす北条は、「癩文学」の作家としてしか周囲から期待されないことへの反発や、小説の執筆や書籍の購入の際に必ず行われる療養所内での検閲に対する怒りを日記に綴っていた。彼の日記に綴られた療養所生活は、社会性を獲得できず、病魔に蝕まれることを恐れる日々であり、「告白」に綴られるような世俗から隔絶されることにより得られる安穏の日々とはほど遠いものであった。

大野氏は報告の結びとして、夏目漱石の「現代日本の開花」における内発性/外発性の理論を援用しつつも、内務省の調査を契機とする「癩患者」の「告白」を外発性、北条のテクストを内発性という単純な図式で捉えることはできないと指摘している。患者に自己表象の機会を与えたという意味において、『癩患者の告白』の編纂は内発的な心情の吐露を誘導したと言え、「癩文学」の作家として期待された北条が感じていた圧力は外発的なものであったとも言えるからである。ここに、内発性/外発性モデルの限界性が表出するのであり、「自己表象」という用語(自己は表象という閾をまたいだ瞬間に崩壊をはじめる)とどう対峙すべきか、という問いが提示された。

第2報告は、新藤雄介氏(福島大学)による、「戦前の農民運動家・渋谷定輔日記原本と往復書簡―理論と反理論の行方―」である。プロレタリア文学作家の中西伊之助は、マルクス主義色の強いプロレタリア雑誌『文芸戦線』の同人であったが、彼は雑誌上においてマルクス主義に関するごく小さな論争を起こし同誌から脱退している。脱退後の中西が取り組んだのが農民・渋谷定輔とともに農民自治会を設立し、機関誌『農民自治』を発行することであった。彼らは大正末~昭和初期にかけて高度化した概念・理論を重視するマルクス主義を批判し、理論と現実の乖離にともなう「反理論」的な立場をとった。今回の報告は、この「反理論」的態度がいかなるものであったのかを分析するものである。報告では渋谷日記の原本と編集を経て出版された同氏の日記の内容の差異や、原本を参照する意義について言及がなされたうえで、日記原本や彼の妻となる人物との往復書簡、ならびに『農民自治』を史料として分析が行われた。

農民自治会は、地主や都市部の資本家階級のみでなく、都市部の労働者も批判の対象としていた。そして、理論を唱えるのではなく、実際に農村で生活し、その実態を知るべきだとも説いていた。ところが、1926年8月に渋谷は「ネオ・コミユニスト」と称するある男と出会い、完全に論破され敗北を痛感することとなる(論破事件)。この事件を経て渋谷はマルクス主義への関心を高め、『農民自治』にも理論を重視した記事が掲載されるようになった。ただしこれは、マルクス主義への迎合ではなく、理論で捉えきれない生活実感や経験を理論として昇華する「反理論の理論化」であった、と新藤氏は指摘している。渋谷の立場の変化は、他の農民自治会のメンバーとの乖離を生むこととなり、都市居住のインテリ層のメンバーがアナーキズム的な態度を採っていたのに対し、渋谷は団結を説くようになる。思想的な乖離を背景に、農民自治会は1928年6月頃から解体状態となった。

報告のまとめでは、この時期の「反理論派」の存在は珍しいものではなかったことが示唆され、「反理論」派内部でも理論化が進み、それがさらに都市インテリ系と農村農民系に分かれるというモデルが示された。

両報告に関してフロアから多くの質問・感想があり、活発な議論が行われたたためそのすべてを拾うことはできないが、これらのやり取りを経て筆者(徳山)が感じたことを記してまとめに替えたい。

今回の大野氏の報告からは、「自発的に書く」ことと「書かされる」ことの境界の不鮮明さに気付かされたが、これは、近代日本の日記・綴方文化のなかで人々が書いた/書かされた文章が孕む、「ホンネ」と「タテ前」をいかに理解するべきかという問いであるとも言えよう。そしてこの問いは、お題を与えられ綴らされた『癩患者の告白』のような史料だけでなく、北条民雄や渋谷定輔が綴った強制されない日記においても生じうると筆者は考える。

渋谷は日記のなかで自らを「彼」と称することもあれば「俺」と称することもあり、時に日記を客観的に綴ろうとし、時に日記に没入していた。書くことにより可視化される自己を客観視するか、そのような自分を振り払い自己の思考や感覚に精神を研ぎ澄ますか、どちらを優先するべきかという葛藤は自己を綴ったことのある誰もが経験することであろう。「ありのまま」の自己を綴ることの不可能性は、前提として改めて自覚されるべきである。

しかしそれは、綴られた自己が「虚構」であることと同義ではない。北条は日記に「全身をぶち込ん」で小説を書く自らの心情と、「癩文学」を執筆することへの葛藤を綴っていたが、これらはともに作家・北条の「真実」の姿であり、このような姿は彼の小説と日記の両方を分析することにより、初めて明らかになることであった。また、渋谷の思想的な変化は、まず日記に綴られ、これが『農民自治』誌上に発表されるまでは時差があった。日記に綴られた思想の転換の個人的な契機と、他者に向けた論説の双方を分析することにより、より詳細に渋谷の思考や行為の推移が明らかになった事例と言えるだろう。

日記を含む多様な史料の利用は、文章を綴った人物の多面性を明らかにするうえで、あるいは、ある事象を多角的に分析するうえで有用であると考えられる。田中祐介氏は『日記文化から近代日本を問う』の総論で、近代日本の日記文化を「史料」・「モノ」・「行為」という3つの切り口から考察しているが、研究者が日記などの「史料」を前にしたとき、綴った人物にとってそれがどのような「モノ」であり、それを綴るということはいかなる「行為」であったのかを思い巡らすことの重要性について、改めて考えさせられた。

(文責:徳山倫子)

書評会終了のご報告と次回案内

『日記文化から近代日本を問う』書評会を3月18日(土)に開催し、計25名がご参加下さる盛会となりました。

提題役を務めて下さった和田敦彦さん(早稲田大学教授)と松薗斉さん(愛知学院大学教授)に感謝申し上げます。投げかけて頂いた問いを受け、会場では盛んな議論が交わされ、気づけば終了時刻も近づいていました。会の最後には、担当編集者である岡田圭介さん(文学通信代表)からも、書評会の議論を踏まえてのご感想と今後の展望を語って頂きました。

「史料・モノ・行為」の観点から近代日本の「日記文化」を考察する本書ですが、提題役のお二人からは有難い評価のお言葉を頂きました。それとともに、書評会全体の議論を踏まえ、まだ着手したばかりの主題である「モノ」「行為」としての日記は、今後一層掘り下げる主題であることが痛感されました。加えて書誌データの充実の必要性についてもご指摘を頂き、現在取り組んでいる日記資料データベースの構築作業を推進すべく、その責任を改めて自覚する機会ともなりました。書評会を一つの区切りとして、更なる展開を見据えて研究活動を継続して参ります。本書の問題意識に共鳴して下さる方々、ぜひ今後の活動にご協力ください。

次回研究会(第16回)は、5月19日(土)に開催いたします。詳細は開催の1ヶ月ほど前に当サイトでご案内いたしますので、皆さまどうぞ奮ってご参加ください。

ウェブサイトリニューアルのお知らせ

本サイトは当初、2016年9月に開催した学際シンポジウムの広報用に立ち上げました。その後、研究会の開催案内を中心に更新して参りました。書籍刊行をはじめ情報量が増えたことに鑑み、このたびサイト構成をリニューアルいたしました。各メニューからご利用頂ければ幸いです。投稿記事は「最新情報」のタブからご覧頂けます。

田中祐介編『日記文化から近代日本を問う—人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか』(笠間書院)の刊行について

2016年9月に開催した学際シンポジウムに基づく研究書が仕上がりました。
笠間書院より刊行で、2018年1月10日頃には全国書店に並びます。寄稿者には、様々な研究分野の読者、広く一般読者に手に取って頂くために、極力平易な文体で執筆頂けるよう依頼しました。ぜひ、ご一読ください。

書籍の目次詳細と前書き文は、こちらからご覧頂けます。

第13回「近代日本の日記文化と自己表象」研究会開催のご案内

 2017年9月16日(土)に開催する第13回研究会の詳細が決まりましたので、ご案内申し上げます。
 今回の報告者はお二方で、服部徹也さん(慶應義塾大学大学院後期博士課程)と河西英通さん(広島大学教授)です。
 服部さんは、帝大時代の漱石の教え子が記録した受講ノートと日記を扱ってくださいます。
 河西さんは、編集をお務めになられた『青森県史資料編近現代8「日記」』(2017年3月刊、http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/kingendai08.html)を中心に、
自治体史編纂のご苦労や収録された日記の資料的価値について、お話下さる予定です。
 研究会はどなたでもご参加いただけますが、会場の都合と資料の部数確保のため、お手数ですが事前に下記アドレスまでご連絡頂ければ幸いです:nikkiken.modernjapan(アットマーク)gmail.com(代表:田中祐介・明治学院大学)
 みなさまぜひ奮ってご参加ください。

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「近代日本の日記文化と自己表象」第13回研究会

【開催日時】
 2017年9月16日(土) 13:30-17:30

【開催場所】
 明治学院大学白金キャンパス本館9階、92会議室(予定)

【研究会次第】
 1. 報告事項(13:30-14:10)
   論文集の進捗報告
   旧制高等学校記念館・第22回夏期教育セミナー(2017年8月19、20日)の参加報告
   チェンマイ大学およびタマサート大学での講演会報告
   日記資料データベースの構築に向けて
 2. 研究発表(14:20-17:30)
   「受講生の日記からみる夏目漱石の帝大講義――受講ノート調査との接点を視座に」(服部徹也、慶應義塾大学大学院後期博士課程)
   「自治体史編さんと日記資料」(河西英通、広島大学教授)

  ※会の終了後、希望者は懇親会へ

「書くこと」の歴史を問うためにーー研究視座としての「日記文化」の可能性と学際的・国際的連携

『日本近代文学』第96集(2017年5月)の「展望」欄に寄稿した田中祐介「『書くこと』の歴史を問うために——研究視座としての『日記文化』の可能性と学際的・国際的連携」のPDFデータを公開します。2014年度から2016年度にかけての科学研究費助成事業の成果を踏まえ、近代日本の「日記文化」を扱う意義と今後の展望を考察したものです。ご一読頂ければ幸いです(閲覧は下記リンク先から)

「書くこと」の歴史を問うために